2014年 03月 26日
思い出 |
昨日、jazzが流れるカレー屋さんをやってる友人の投稿で
安西水丸さんが亡くなったことを知る。
彼との思い出はなんといってもカレーである。
そんな訃報をカレー屋さんの情報で知ったのも奇遇であるが。
忘れもしない、あれは1989年の秋.....だったかな?
原宿は神宮前にあった伝説のカレー店[GHEE]にふらりと立ち寄ったときのこと
(徳島から上京してふらり、もないとは思うけど)
いつものようにビーフと野菜のコンビネーションを注文して
隣をみると安西水丸さんがカレーを喰っていた。
まぁ、ただそれだけなんだけど
平然としながらも「やっぱ東京スッゲー!」ともう一人の僕が心で叫んだ。
水丸さんが亡くなったのは凄く残念で寂しいんだけど
カレーにまつわる寂しく残念な思い出はここからずっと続いていくのである
そんなことがあってますますGHEEのファンになり、それまで僕の中でNo1だった
大阪のインディアンカレーはGHEEのビーフによって2番になってしまった。
東京に訪れる度にGHEEに通っていたけど、そう度々いけるわけでもなく
僕の中ではとても大切なカレーになっていたのだ。
2000年頃に関東の仕事が増え出して毎週東京に通うようになったころ
GHEEはなんの前触れもなく閉店。膝がカックンカックンと笑うほど動揺した僕は
すぐにGHEEを教えてくれた友人に連絡をとった。しかし彼も知らなかったという....
絶望にうちひしがれた僕はもう東京の仕事なんかしたくないほど落ち込んだ。
しかし、その後調べまくった結果、神宮前のすぐ近所でGHEEのシェフだった
赤チャン(赤出川さん)がfanseedという名前でカレー屋を開店したことを発見
そのお店には2週間に1回くらいの頻度で通い赤チャンとも気軽に喋るようになった。
ちなみに赤チャンはとっても気難しい男で、いつもむすっとして
客がいっぱいいても怒るし少なくても機嫌が悪い....みたいな、まるで徳島の某自転車のおっさんみたいな人である。
僕も一緒に通ってた友人もこんな人種の扱いにはなれたものなんで
なんてことはなかったけどね。
すっかり安心して通い慣れた頃店に行くと突然の閉店。
またしても途方に暮れる。
しかし、赤チャンも有名な男。ネットで探すとすぐに行方がしれる。
次は新宿市ヶ谷のcafe de momoという店の厨房でカレーを作っていることを
突き止めた。これじゃあまるでおっかけっこだ。
こんなのも嫌いではないけど時折「いつかこの味を食べられなくなるんじゃないか」という思いもあり、赤チャンの携帯番号をget
これにより年末に10人前送ってもらったりというVIP待遇も勝ち取ることになった。
それ以降、次は銀座のBARに間借り営業する時に連絡あり。その後その店も
大家さんのごたごたがあり終了し現在は神宮前のステーキ屋で昼のみ営業中。
「GHEEの味を受け継いだ」とうたい文句の
新潟のVOVOや千駄ヶ谷のCURRY UPも食べてみたけど
似て非なるもの。やっぱりあの味はアカチャンしか出せないね。
だからこそ水丸さんも愛して通ってたんだと思う。
と、いう思い出話。
安西水丸さんが亡くなったことを知る。
彼との思い出はなんといってもカレーである。
そんな訃報をカレー屋さんの情報で知ったのも奇遇であるが。
忘れもしない、あれは1989年の秋.....だったかな?
原宿は神宮前にあった伝説のカレー店[GHEE]にふらりと立ち寄ったときのこと
(徳島から上京してふらり、もないとは思うけど)
いつものようにビーフと野菜のコンビネーションを注文して
隣をみると安西水丸さんがカレーを喰っていた。
まぁ、ただそれだけなんだけど
平然としながらも「やっぱ東京スッゲー!」ともう一人の僕が心で叫んだ。
水丸さんが亡くなったのは凄く残念で寂しいんだけど
カレーにまつわる寂しく残念な思い出はここからずっと続いていくのである
そんなことがあってますますGHEEのファンになり、それまで僕の中でNo1だった
大阪のインディアンカレーはGHEEのビーフによって2番になってしまった。
東京に訪れる度にGHEEに通っていたけど、そう度々いけるわけでもなく
僕の中ではとても大切なカレーになっていたのだ。
2000年頃に関東の仕事が増え出して毎週東京に通うようになったころ
GHEEはなんの前触れもなく閉店。膝がカックンカックンと笑うほど動揺した僕は
すぐにGHEEを教えてくれた友人に連絡をとった。しかし彼も知らなかったという....
絶望にうちひしがれた僕はもう東京の仕事なんかしたくないほど落ち込んだ。
しかし、その後調べまくった結果、神宮前のすぐ近所でGHEEのシェフだった
赤チャン(赤出川さん)がfanseedという名前でカレー屋を開店したことを発見
そのお店には2週間に1回くらいの頻度で通い赤チャンとも気軽に喋るようになった。
ちなみに赤チャンはとっても気難しい男で、いつもむすっとして
客がいっぱいいても怒るし少なくても機嫌が悪い....みたいな、まるで徳島の某自転車のおっさんみたいな人である。
僕も一緒に通ってた友人もこんな人種の扱いにはなれたものなんで
なんてことはなかったけどね。
すっかり安心して通い慣れた頃店に行くと突然の閉店。
またしても途方に暮れる。
しかし、赤チャンも有名な男。ネットで探すとすぐに行方がしれる。
次は新宿市ヶ谷のcafe de momoという店の厨房でカレーを作っていることを
突き止めた。これじゃあまるでおっかけっこだ。
こんなのも嫌いではないけど時折「いつかこの味を食べられなくなるんじゃないか」という思いもあり、赤チャンの携帯番号をget
これにより年末に10人前送ってもらったりというVIP待遇も勝ち取ることになった。
それ以降、次は銀座のBARに間借り営業する時に連絡あり。その後その店も
大家さんのごたごたがあり終了し現在は神宮前のステーキ屋で昼のみ営業中。
「GHEEの味を受け継いだ」とうたい文句の
新潟のVOVOや千駄ヶ谷のCURRY UPも食べてみたけど
似て非なるもの。やっぱりあの味はアカチャンしか出せないね。
だからこそ水丸さんも愛して通ってたんだと思う。
と、いう思い出話。
by moon-at
| 2014-03-26 01:43